橋本龍太郎元首相の耳慣れない言葉
公開日:
:
コラム 内田茂夫, 内田茂夫の時事コラム
5月中旬に広島で開幕する主要7カ国首脳会議(G7サミット)を前に、岸田文雄首相がアフリカ諸国(4カ国)を歴訪すると伝えられています。報道によりますと、中国、ロシアが影響力を増すいわゆるグローバル・サウスと言われる国々と、国際秩序を守ることの重要さを共通認識として共有することが目的だとされています。
世界の分断が進む状況下でG7サミットの議長を務める岸田首相の今回のアフリカ訪問自体は大変重要な外交政策だと思います。ただ外交の基本は日ごろの付き合いだとすれば、唐突感があることも否めません。日本の首相がアフリカの複数の国を回るのは2014年以来9年ぶりだといいます。今回の訪問で共通認識を醸成するというハードルはかなり高いと言わざるを得ません。
筆者は日本の政府開発援助(ODA:Official Development Assistance)の在り方を検討する対外経済協力審議会(首相の諮問機関)の委員を10年ほど務めていたことがあります。この時の経験からすると、アジア中心ではありましたが、発展途上国との関係はいまよりも緊密だったような気がします。
この審議会のメンバーは1~2年おきに手分けして援助対象の途上国を視察することになっていました。おかげで各地を見聞する機会に恵まれましたが、1997年に南アフリカ共和国、ジンバブエ、モーリタニアのアフリカ3カ国を訪問したことがあります。大規模な行政改革を進めていた橋本龍太郎政権の時代です。
帰国後、首相官邸で行われた報告会で、各国との対話の内容などを紹介した後、筆者は次のように発言しました。「アフリカにはサブサハラ(サハラ砂漠以南)だけで国連加盟国の1/4に相当する50カ国(正確には現在49カ国)が存在します。それぞれの国が1票を持っています。にもかかわらず日本の大使館が置かれている国は半分もありません。海外公館はもっと強化すべきで、行政改革の対象とすべきではないと考えます」。
すると首相は「外交力の強化は日本にとって最も重要な課題だと考えています。海外公館は“べっかくかんぺいたいしゃ”です。安心してください」と答えたのです。
「べっかくかんぺいたいしゃ」。そう聞こえた気がしたのですが、わたしには意味不明でした。「非常に大事だ」と言いたかったのは伝わってきました。発音を頼りにあとで辞書を引くと、「別格官幣大社:戦前まであった制度で最も格の高い神社」ということです。
橋本首相が約束したように、アフリカ諸国の日本大使館は現在までに10カ所程度増えました。訪問当時は隣国セネガルの大使館の兼担だったモーリタニアにも、2009年12月、大使館が開設されています。80年代、90年代は、対アフリカ政策で日本がプレゼンスを高める好機だったと思います。
アフリカ大陸のほとんど全てがヨーロッパ諸国の植民地でしたから、対アフリカ援助の大部分は旧宗主国が担っていました。環境が変わったのは80年代以降です。欧州各国が財政難に陥り、当時、貿易黒字を積み上げていた日本にアフリカ援助の肩代わりを期待する声が強まったのです。対アジア諸国援助で突出した実績のある日本も前向きに対応したといえるでしょう。1993年、日本の提唱でアフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)が設置されました。アフリカ諸国の経済発展への支援を目的とするこの会議は、日本が主導し、国連開発計画(UNDP:United Nations Development Programme)、世界銀行などと共同で開催することになっていて、第8回アフリカ開発会議が、昨年8月チュニジアのチュニスでアフリカ48カ国が参加して開かれました。
以上のように日本の対アフリカ政策は出だしよく滑り出したのです。ところが今世紀に入って中国が豊富な資金力をもとに援助大国として急速に台頭してきたというのが現状でしょう。人間同士でもそうであるように、国家間でも、お互いの信頼感はお金では得られません。日ごろのきめこまかな交流こそが肝心なのだと思います。かつての欧州諸国同様、財政難に陥った日本が、日ごろの交流もおろそかになったとすれば、国際的なプレゼンスは衰退の一途をたどることは間違いありません。
最後に、あまり知られていないモーリタニアについて少し触れておきましょう。この国の広さは日本の3倍ほど。ほとんどがサハラ砂漠で人口はアラビア系中心に450万人程度。南アフリカのヨハネスブルグからアフリカ入りしたため、大陸の南西側に位置するモーリタニアには、かつての宗主国フランス経由で入らざるを得ませんでした。
現地では日本の援助に期待を寄せる農業大臣やUNDPなど国際機関の代表と援助政策をめぐって意見交換しましたが、1960年の独立直後の経済困難期に日本政府がさまざまに援助したことを高く評価していました。中でも同国最大の産業に育ったタコ漁を中心とする水産業の土台を作ったのが日本の援助だということでした。現在、日本で消費されているタコの1/3はモーリタニア産ですし、タコの対日輸出が同国の輸出の過半を占めているのです。いまやモーリタニアと日本はきわめて緊密な経済関係で結ばれているといってよいでしょう。
千葉商科大学MIRAI TIMESより
関連記事
記事はありませんでした