投資の羅針盤
確定拠出型企業年金への「自動加入化」を【下】

公開日: : 最終更新日:2014/11/17 マーケットEye ,

日本個人投資家協会 副理事長 岡部陽二

前回より続く)

前回、日本の公的年金の所得代替率が低く、欧米諸国のように私的年金も発達していないことを指摘した。

英国では企業に義務化

日本同様に公的年金による所得代替率が低い英国では、確定拠出型企業年金を主軸として国民の長期的な資産形成を支援する政策を強力に推し進められている。

その背景には、確定給付型の企業年金を廃止する企業側の動きがある。FTSE100構成企業の大多数が新規採用者への確定給付型年金の提供をすでに停止しており、10年内には100社すべてが新規・既存社員全員に対する確定給付型年金の提供を全面停止するものと見込まれている。

まず、2012年にすべての雇用主に対し従業員への何らかの年金プラン提供を義務付ける自動加入制度が導入された。提供される年金プランは事実上すべて確定拠出型であり、税制面での優遇を受ける。これは自発的な貯蓄を促進する従来の政策から政府の直接介入へと一歩踏み込んだものである。拠出率の下限は2018年以降月額報酬の8%、うち雇用主負担は3%となる。対象者の要件としては①年齢は22歳から公的年金の受給年齢まで、②所得要件として年収9,440ポンド(約170万円、2013年)以上などが定められている。

次に、企業単独で年金プランを提供できない中小企業に対しては、自動加入制度の受け皿となる国家雇用貯蓄信託(National Employment Savings Trust、NEST)が設立され、NESTが提供する年金プランの中から従業員が自由に選べるようになった。

要するに、英国では、公的年金を老後の最低限の生活保障とし、それで足りない分は企業年金や個人年金で備えるべしという政策が明確に打ち出されている。

日本では加入規制が厳しい

我が国の企業の確定給付年金廃止の動きは、英国よりは若干緩慢とも思えるが、基本的な方向は変わらない。一方、私的年金の中核となっている企業年金の普及率は全企業の33%と極めて低い。加入者数は1,300万人と被用者全体の2割に過ぎない。しかも、普及率は過去10年以上にわたり大きく低下してきた。企業規模別に見ると、従業員300人未満の中小企業での後退が目立っている。

10年前に創設された確定拠出型企業年金の加入者数はいまだに433万人と被用者全体の7%だけをカバーする低水準に留まっている(図2)。

 

しかも、個人年金を含めた確定拠出型年金への加入に当っての規制が厳しい。たとえば、①年間の加入限度上限が企業・従業員併せて66万円まで(米国の401kでは約570万円まで、英国では複数の私的年金併せて年約719万円まで)②主婦や公務員の加入は認められず、厚生年金加入者の掛け金限度は年27万6000円に抑えられている――などである。

個人年金制度を第二のNISAに

最近の日経新聞一面トップ記事には「確定拠出年金、誰でも加入~厚労省案、主婦・公務員も」(10月15日)、「確定拠出型年金、年収比例に~掛け金上限10~20%、厚労省案」(10月25日)といった記事が踊っているが、財務省は税制優遇の拡大に断固反対の姿勢を崩しておらず、これらの厚労省案が何時実現するのか、実現の時期は記事のどこにも見当たらない。

この際、発想を転換して、①すべての企業に対し、確定拠出型年金の提供を義務づける自動加入制を導入し、②NISA同様、70歳未満の全国民が年間の掛け金限度100万円程度まで自由に加入できる個人年金制度を新設すべきではなかろうか。

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